十日市の地理

三次市十日市中にある三次市役所は、北緯132°51′15″、東経34°48′08″、標高156m、広島県の中北部、中国地方内陸部の中心に位置する。その中で、十日市は三次市の玄関であり、人口も市内で最も多く約1万人が生活している。位置的には東は大阪へ約250㎞、西は下関へ約200㎞、南北は山陽側の広島、呉、尾道、福山、山陰側の松江、米子、出雲へ約50~80㎞で、陰陽へほぼ同じ距離である。

交通網は、東西の大動脈として中国縦貫自動車道や尾道松江自動車道(中国やまなみ街道)が、十日市付近でX状に交差するとともに、一般国道三次~米子を結ぶ国道183号線、呉~三次~大田を結ぶ国道375号線などが集中している。鉄道は、広島~三次~新見を結び山陰側の松江・米子へ連絡する芸備線、三次~福山を結ぶ福塩線の2線があり経済、産業、生活を支えている。

十日市の自然

三次市の市街地は、巴橋をはさんで三次と十日市に分かれている。三次・十日市を含めた三次盆地は中国地方のほぼ中央に位置し、中国山地の背梁の南側の小盆地である。

今からおよそ200万年以前、地殻変動により衝上断層ができ、これに向かって大小の河川が流入して沖積平野を形成し盆地となった。現在の主な河川は、東から馬洗川、南から江の川、北から西城川・神野瀬川が流れ、これらほぼ巴状をなして盆地の西端部(十日市西)で合流し、江の川となって日本海へ流れる。三次・十日市はこの合流点に生まれた町で、今日の三次市の市街地部分である。

また、「水郷」と言われ、昔から水の恩恵を受けながら時には大水害を被ってきた歴史がある。地形から「巴峡(はきょう)」「三巴(さんぱ)」などの語が三次の代名詞として生まれた。夏から秋にかけては、川霧が発生し特色ある風土を形成している。また、気候は内陸盆地特有の気温差が大きく、夏は暑く、冬は寒く「島根県の天気予報が当たる」と、よく言われる。

十日市の歴史

古代・中世の三次の歴史は、中心舞台は酒河など三次盆地周辺の台地だった。十日市は馬洗川の自然堤防上に成立した町で成立時期ははっきりしないが起源は中世へさかのぼる。中世期、三次・十日市は三吉氏(比叡尾山【畠敷町】)が支配し、三吉郡原村又は大原村と呼ばれていたが、その末期には、原村と上里村の2村が成立、三吉氏も畠敷村から上里村の比熊山へ、すなわち五日市へ移った。

また、十日市は、毎月、10のつく日、月3回定期的に開催された三斎(さんさい)市に由来する町である。近世期初頭(江戸時代)の約90年間は、三次浅野藩5代の城下町であった。寛永9(1632)年に、浅野長治は、5万石をもって三次浅野藩を確立し、町の整備と殖産に努めた。「三次三か町」と呼ばれた五日市、内町、十日市も成立し、しかも鵜飼、三次人形など今日の三次を特徴づけているいくつかは、長治に始まると言われている。享保5(1720)年、三次藩廃藩後、この3か町は、在郷町として周辺村々と強くつながり、また、雲石街道(赤名超)を始め、いくつかの街道が集まり、川船などの交通の要所である宿場町として栄えた。その結果、陰陽の結節点として両地方の影響を受けて独自の文化を創造した。明治になり、廃藩置県後、明治22(1889)年に市町村制が施行、明治31(1898)年、三次郡と三谿郡が合併し双三郡となり郡役所が三次町に置かれ、さらに大正6(1917)年には原村が町制を敷き十日市町となった。その後、昭和29(1954)年3月、十日市町・三次町を中心として三次市が、さらに平成16(2004)年4月には、1市7町村が大合併をして新三次市が誕生した。

一方、昭和29年以降十日市の主な社会環境の変化として、昭和31(1956)年5月、巴橋から三次駅に向かう直線道路中央通りが完成、徐々に商店街ができた。それまでは、下原(十日市西方面)から上新町(十日市中・東)方面にかけての旧道沿いには商店が立ち並んでいた。また、中央通り完成後は県の出先機関である合同庁舎などが三次から十日市に移転、さらにホテル、大型ショッピングセンターが建設され十日市は、市の中核として機能が強化された。一方、昭和47(1972)年7月には集中豪雨による大水害を受けたが、その後、防災対策とし河川や土手の改修・整備などが進んでいる。さらに、この間、三次市は、市の玄関口であるJR三次駅を中心に「公共交通機関の結束・拠点機能」「観光情報の発信」「コミュニテー機能」を強化し、人々の交流と賑わいの創出による中心市街地の活性化をめざし、平成18(2006)年度から三次駅周辺整備事業を進めてきた。平成23(2011)年7月には、まちづくりの拠点として待望の十日市コミュニティセンター(きんさいセンター)が落成、平成25(2013)年3月、南北自由通路及び駅前広場が完成、そして平成26(2014)年には三次市交通センター、平成27(2015)年2月JR三次駅新駅舎、平成27(2015)8月中原踏切拡幅、平成27(2015)9月駅前広場、交通センターなどが完成した。十日市コミュニティセンターの前を走る国道183は、現在4車線化のための整備工事が行われおり、十日市は今後、三次市の玄関としてまた、コンパクトシティ構想に伴い益々発展することが期待されている。

十日市の鉄道

十日市の発展には、鉄道の開通によることなどが揚げられる。芸備線の前身「芸備鉄道」が、大正4(1915)年6月、広島~三次(現在の西三次駅)間に開通、以来今日まで百有余年が流れる。

昭和5(1930)年、十日市駅(現三次駅)が開業、昭和8(1933)年には備後十日市駅、昭和12(1937)年には国鉄として芸備線が、さらに昭和13(1936)年には福塩線が誕生した。その間、三次駅(備後十日市駅)は終点駅の機能を持ち、三次・十日市の玄関口、出入り口であった。駅周辺には飲食店を始め、自動車運輸業者など駅前集落や駅前商店街で独特の雰囲気を醸し出していた。昭和29(1954)年には、備後十日市駅は三次駅に、また、三次駅は西三次駅に変更、昭和30(1955)年には、三江南線が高田郡式敷まで開通した。昭和46(1971)年4月、島根県三瓶山植樹祭のため天皇皇后両陛下が芸備線で行幸された。

【参考文献・資料】
1. 三次市史 Ⅰ、Ⅳ   三次市
2. 三次の歴史     三次地方史研究会
3. 十日市小史     十日市公民館
4. ものがたり・三次地方史 芸備線百年  米丸 嘉一
5. 十日市小学校創立百年記念誌  十日市小学校
6. げいびグラフ         菁文社
7. 21世紀みよしプラン      三次市